古代の衛生思想
沐浴場の排水溝をはさんで、すぐ西側には、巨大な穀物倉庫の跡が並んでいます。
通風口も備えた本格的な倉庫で、モヘンジョ=ダロがインダス川流域の豊かな田園地帯を支配していたのであろうことをしのばせます。
城塞部には、このほか、列柱の跡が残る集会場などもありますが、古代遺跡にはつきものの王宮や神殿の跡は見つかっていません。
ただし、城塞部には住居にあたるものはほとんどありませんので、モヘンジョ=ダロの政治や宗教の公共の場であったと見てよいでしょう。
市街地の遺構は城塞の丘から200メートルほど東。
市街は南北に走る幅約9メートルのメインストリートと、幅約3メートルの路地で細かく区画されています。
モヘンジョ=ダロは実によく計画的に建設された都市でした。
とくに下水道施設は、この都市が4000年前の廃壇であることが信じられないほど・・・。
大通りにも路地にもレンガを組んだ暗渠の排水溝があり、すべての住居から排水がその排水溝に流れ込むしかけになっています。
東京の町にすべて下水道が完備したのは、たしか1960年代だったと思いますから、モヘンジョ=ダロの人びとというのは、きわめて進んだ衛生思想を持っていたようです。
